元市役所職員の松崎です。
わたしが仕事を辞める前に知りたかったことの一つに、仕事辞めた後のことがありました。「仕事を辞めた後、その人は一体どうなったのか?」ということです。
失敗したのか成功したのか、ちゃんと生活できているのか、後悔していないのか、などなど。
私は前職が市役所職員だったこともあり、一度辞めたらもう二度とその現場には戻れないと思っていました。
周りからは「安定している」といわれる公務員だったからこそ、仕事を辞めるときに不安も感じていたし、後悔しない選択がしたいと考えたわけです(今思えば、それは民間企業でも同じだなと思いますが)。
気持ちとしては、市役所を辞めた人の話も聞きたいけれど、「辞めた後のことも知りたい!」そんな感じでした。私が市役所を辞めたときの話はこちら>>> 本気で人生を変えたい。私が26歳で市役所を辞めた理由
そこで今回は、私が26歳で市役所を辞めてから、現在に至るまでの人生をご紹介いたします。専門学校への入学・学生生活、保険営業マンへの転職、市役所退職後の人間関係、現在まで、仕事や生活、お金にも触れていきます。
正直、公開しようか迷った記事ですが、これから新しい一歩を踏み出そうと考えている方には、ぜひ読んでもらいたい内容です。
専門学校時代・仕事を辞めて学生生活
人生の中で最高の時間
市役所を辞めた後、私はアウトドア専門学校に入学するため、新潟へ引っ越しました。引っ越し先はアウトドアをやるくらいですから、かなり自然環境が豊かな田舎です。
その地域は、市役所時代に仕事で1年に1〜2回行っていた場所だったので馴染みがありました。
だからその地に決めたというわけではなく、そこに専門学校があったのはたまたまです。
ですが、以前から「こんな所に住んでみたいな」という淡い希望はありました。そして、専門学校での学生生活は、私の26年の人生の中でも最高レベルの充実度でした。
この生活と比べると大学は行かなくても良かったのではないかと思えたくらいです。毎日自分の興味あることと向き合い、新しい知識を吸収し発見がある。これ以上ないくらい、濃密で最高の時間を過ごすことができました。
その一番の理由は、自分の中の意識が変わったからだと思っています。
入学する前に考えていた、人生の目的やどういう人間関係を自分は築いていきたいのか、そんな思いがこういう時間を生んだのだと思います。
「自由に好きなことができる、この貴重な学生生活は二度と来ない」と思っていたことも大きいです。自分としてはそこまで根詰めていたわけではないですが、1日1日を充実させて後悔のないように生きようと思っていました。
学生寮の生活とコミュニケーション
私は3年間、学生寮に入っていました。入学前は、寮という共同生活でやっていけるか心配していたのですが、結果として相当楽しめました。
部屋は5畳くらいで狭いけれど、個室でカギもかかるし、勉強するつもりで専門学校に入学するのだから丁度いいと思っていました。永住するわけではないですしね。
基本的にわたしは、学校での授業が終わると、部屋に閉じこもって本を読んでいました。読んだ本は、自己啓発書、ビジネス書、自然関係、教育関係、偉人伝、お金に関する本などが多かったです。
一人でいることが比較的多かったのですが、周りと全くコミュニケーションを取っていなかったかというとそんなこともありません。
アウトドア専門学校の特殊性もあって、授業の実習で同級生全員と宿泊キャンプに行ったり、4泊5日の登山縦走をしたりもしたので、他の学校と比べると学生同士の関わり合いは深かったと感じます。
一緒にテントで過ごす時間や、企画会議で話し合う時間もたくさんありました。
学生寮というのも良かったですね。私はプライベートを極力自分の時間に使うようにしていたので、余計な飲み会や遊びには基本参加しませんでした。
ですが、食堂やお風呂は共同なので、学校の仲間と顔を合わせる場になります。そこでする中身のない、しょうもない会話や、お互いの進路を真剣に語る時間が、友人とのコミュニケーションを円滑にしていたなと感じます。
もし、一人暮らしをしていたら、他学科の子と話す機会もなかっただろうし、ここまで多くの学生と親しくはなれていなかったと思います。本当に楽しい時間でした。
わたしは、社会人を経験したことで、学校入学の目的意識が明確だったので、無駄な遊びに時間を使わないようにしていました。
入学した頃は今まで体験したことがないくらい学生生活が楽しくて、毎週金曜に友達の家で「金麦の会」という飲み会を開いていました。
ですが、途中で「これはいけない…」と初心に返り、ひっそりと退会しましたね。
生きている実感が湧く瞬間
それにアウトドアは適当にやっていると命に関わります。よく仕事で「大丈夫、命までは取られないから」と言ったりしますが、雪山登山なんかはリアルに死ぬんじゃないかと思いました。
仕事でデスクワークをしているときは、あまり生きている実感を感じませんが、自然の中に身を投じると、リスクを背負うことになるので、必然的に真剣になれるし生きている実感が強く湧きました。
専門学校時代の収入・金銭事情
金銭的には、結構大変な思いをしました。
わたしは自己啓発本の影響で潜在意識の力を強く(間違った状態で)信じていたので、「強く思えばなんとかなる!」と考えて、お金を使っていました。結果、奨学金の返済に苦しみ、なんとかなりませんでしたけど。
入学前は「この貴重な学生生活で、バイトなんかしない」と決めていたのですが、そうも言っていられなくなり、旅館やネットカフェでバイトもたものです。幸い学生寮だったので、光熱費や食事など日々の暮らしは問題なかったので助かりましたね。
ですが、身をもって現実的を見据えたお金の使い方と計画が大事だなと感じました。強く信じるだけでは何も解決しません。
私は自分を成長させるための自己投資と考えて、専門学校時代も本やセミナーにお金を使っていました。そのことに後悔はありません。むしろ、お金が無いときこそ勉強すべきだと思っています。
あくまで現実をしっかり見て、転職や仕事を辞めると決めたときは、貯金をするなり資金計画を立てるなり、お金の準備をしておくことをおすすめします。
好きなことが仕事になり始める
自然に関すること、人を成長をさせることがしたいと模索して行動していると、次第にその分野で収入が生まれるようになっていきました。ほとんどボランティアに近い金額のものもあれば、アルバイト程度の収入になるものもありました。
市役所時代の収入と比べるともらったお金の額は低かったですが、毎月1回自動的に入ってくるお金と違い、自分が他人に提供したスキルや価値で稼いだという感覚がありました。
好きな仕事で稼ぐお金が貰えるとは、こんなにも嬉しいものかと感じました。これまで貰ったどんな収入よりも嬉しかったです。
保険営業時代・保険代理店に転職
挫折を経験した個人事業主
専門学校入学前から、わたしは「学校を卒業したら絶対に起業する」と決めていました。その為の準備として、アウトドアの知識・技術の専門性を身につけ、本を読んだりセミナーに参加したりして、人間力を磨く勉強をしていました。
実際に学校卒業後は、学校近くの市内にアパートを借り、個人事業主として活動を開始したのですが、思ったように成果が出ず、挫折します。専門性はあるけれど、顧客が取れない。取り方も分からない。悪戦苦闘する日々が続きました。
今思えば、効率的な顧客獲得方法にこだわり過ぎていて、積極的に人に会うことも発信もせず、知識の習得ばかりしていたので当然だと思います。
アパート契約がきっかけで、保険営業に転職
そんなとき、アパート契約をした不動産兼保険代理店の支店長から「保険の営業をしてみないか」という話を受けました。
支店長とはアパート契約の時、何度か顔を合わせていて、私が自然・教育の分野でやっていきたいという話もしていました。
私の気持ちを理解していくれた上で、収入の足しや顧客獲得の足がかりとして「保険営業の仕事を利用してみてはどうか」ということを提案してくれたのです。
ですが、最初は抵抗がありました。
わたしは市役所を辞める時「もう二度と組織では働かない」と決めていました。それに好きな仕事で生きていくと決意していたので、収入が少ないという理由で就職することは選びたくありませんでした。
ですが、3ヶ月個人事業主をやってみて、営業スキルが足りないということも自覚していました。保険に興味はないけれど、以前から営業の勉強はしたいと思っていたのも事実です。それに何より、その支店長の人間性に魅かれました。
保険を売り込むことをせず、私の仕事がどうすれば上手くいくか考えてくれ、人やアイデアを提案してくれる。保険営業の転職の誘いも、私を丸めこもうというより「何か彼の力になりたい」という真っ直ぐな思いが感じられました。
「いま、目の前のこの人のために、自分は何が出来るだろうか」そういう支店長のの気持ちは、私が教育の分野でやってきたことと同じでした。支店長の人間性に魅力を感じた私の中で次第に「この人の下であれば、働いてもいいかな」という気持ちが芽生えていきました。
そして、経験ゼロの保険営業の仕事に転職することを決めました。
保険会社の研修生時代
最初の1年間は「研修生」という扱いで、保険会社に勤務していました。公務員上がりの私としては初めての民間会社で、ノルマもあってキツいと思ったことも多かったです。保険研修生時代の詳しい話はこちら>>>資格は無駄?資格を取らないとクビになる、大手保険会社の研修生時代の話
それでもやってこれたのは、誘ってくれた保険代理店支店長の人柄とそこの社員さんの手助けがあったこと、「営業・マーケティングを学ぶ」という自分なりの目標を持っていたからです。
それでモチベーションは十分キープ出来ていました。仕事はやらされているというより自分で選んでやっていたので、自ら行動している意識が強かったです。会社の為ではなく、自分の為に働いているという感じですね。
営業経験のある方はわかると思いますが、営業の仕事は基本的に自由なので、1日のスケジュールを会社に縛られるということはあまりありません。ですが、やることはやらないといけないという感じです。
サボるも働くも自分次第。ノルマもあって、常に契約を取らないといけない焦燥感にかられていたので、「どこまでやるか」自分と戦う毎日でした。
保険代理店の正社員を3ヶ月で退職
無事に研修生として、1年間保険会社での勤務を終えた後、ようやくその支店長の代理店で正社員として働くことになりました。
ですがその頃には、だいたい営業のこと分かったという感覚もあり、これ以上保険の仕事を続ける理由がないと思うようになっていました。その結果、3ヶ月で退職することになります。
支店長は私が「好きな仕事で生きること」にこだわっていることをよく知っていましたし、それを知った上で自分の会社に雇ってくれたので、支店長には申し訳ない気持ちがありました。
ですが、すでに保険営業に対するモチベーションは無く、うつになりそうな勢いだったこともあり、辞めることを決意しました。
保険営業時代の収入・金銭事情
保険営業時代の収入は生活するのに十分でした。保険営業の収入は取った契約に応じて、固定給に上乗せされるので、良い時もあればそうでない時もあるといった感じです。
一度、個人事業主を経験していたので、お金を貰いながら働けるサラリーマンは恵まれているのかもしれないと感じました。
フリーランスとして独立
保険営業の仕事を辞めてからは、自然体験指導者、Webライター兼ブロガーとして活動しています。Webライターはネット上のサイトに記事を書く仕事で、初心者でもクラウドソーシングを利用すれば、簡単に仕事を見つけて始めることができます。
「起業」というと聞こえはいいですが、収入面まだまだ不安定なので駆け出しです。日々模索しながら、前に進むようにしています。
再び、個人事業主になって思うこと
一度は個人事業主として挫折した私ですが、「好きな仕事で時間や場所、人を選んで働きたい」というこだわりが強いので、その道で行く覚悟を改めて決めました。
今、サラリーマンをしている人の中には、私と同じように、自分で何かをやって生きていきたいと思う人もいると思います。
ですが、中には「自分にはサラリーマンが合っている」という人もいるでしょう。そういう人はそれでも良いと思います。何がなんでも起業しなければいけないわけではないですし、会社から給料をもらって働くことも一つの選択です。
全ての人が起業家の世の中では、社員が一人もいなくなってしまいます。社長やリーダーを支える従業員やフォロワーがいて始めて組織は成立しますからね。
独立して感じた資金計画の重要性
私はまたしても、資金計画が甘かったと痛感しています。専門学校入学の頃と比べると、お金の面は多少予想できていたのでマシでしたが、フリーランス(個人事業主)になって、やはり貯金や資金の準備は大事だと感じました。
貯金額はあるにこしたことは無いですが、出来れば、1年くらいは無収入でも生活できる蓄えがあると良いと思います。私はお金がなければバイトでも何でもすればいいと思っているので、バイトする時もあります。
お金がなくなっていく恐怖は想像以上に怖いものです。
だからこそ、資金計画や貯金、お金がない時も耐えられる思考やメンタルをつくることが大事なのかなと思っています。
市役所を辞めた以降の人間関係
素の自分を見せる人間関係
人間関係は市役所時代までの自分と比べると、すごく良くなったと感じます。人との関係の深さや信頼関係、気持ちの良さ、そういうものが充実しました。市役所を辞めたから良くなったというよりは、自分の中の意識を変えたということが一番大きいと思います。
「素の自分を見せて、素直に人と繋がりたい。心から信頼できる人間関係を築きたい」
そういう気持ちで人と向かい合うようになりました。素の自分を見せること、本音で話すことは勇気がいります。
けれど、素の自分を見せるから好かれるし、本当に一緒にいたい相手が見えてくる気がします。専門学校時代は、特にそんなことを心がけていました。
やりたいと思うか、そうでないかで決める
授業で協力することややることはやるけど、ただ騒ぐだけの飲み会や暇つぶしの遊びには参加しませんでした。自分の気持ちに素直に行動するように心がけていて、「やりたいと思うか、そうでないか」を行動基準にしていました。
自分に素直に行動していると、それに近い価値観や感覚を持っている人と繋がるようになっていった気がします。そうやって出来た友人関係や地域の人とのつながりは、信頼できて、心地いいものでした。
すべての人から好かれることを辞めて、自分の為に生きることを選択してから、私の人間関係はとても良いものに変わっていきました。その一つが、アパート契約の時の保険代理店支店長との出会いです。
まとめ
私は市役所時代に住んでいたアパートを気に入っていました。引っ越しの準備を終え、何もなくなった自分の部屋を眺めた時「またこんな暮らしができるのかな」と少し不安になったものです。
市役所時代の同期が開いてくれた送別会で、私より年上のシングルマザーの同僚が自身の経験から「大丈夫。何とかなるから」と励ましの言葉とかけてくれました。
実際そのとおりで、何とかなっています。やる気があって何とかしようと思うのであれば、何とかやっていける。そう感じています。
市役所を辞めたこと、保険の仕事を辞めたことに後悔は全くありません。人生なんとかなるものです。本気で何とかしようと思うなら。
一度きりの人生なので、自分が後悔しない選択をすればそれでいいような気がします。