ビートたけし著『間抜けの構造』に学ぶ、間がいい人は面白い

manzai 人間関係・コミュニケーション
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「もっと面白い話ができたらいいのに」

雑談で笑いが生まれるときもあれば、何の波も立たず、ただ平然と会話が進んでいくときもありますよね。

一体、その違いはどこにあるのでしょう?

そんなことを考えていたときに、「これはいいかも」と見つかったのが、ビートたけしさんの『間抜けの構造』という本です。

漫才から人生まで「間」は重要

間抜けの構造 (新潮新書)
created by Rinker

『間抜けの構造』は、お笑いのことに限らず、もっと広い意味での「間」について書かれています。

最初に「間抜けなやつはどういう奴か?」という話から始まり、たけしさんのツービート時代の漫才の話、スポーツ・芸術、映画の「間」、最後は人生の「間」にまで話が展開します。

読んでいくと、たけしさんが重要だと主張する「間」が、漫才のときだけじゃなく、自身が撮っていた映画にも生かされているということが分かります。

漫才、小説の文体、映画のシーン構成にも、それぞれの人が持つ「間」の感覚が反映されています。

間を操作するのはツッコミの仕事

私たちが人によって話す内容を変えたり、すこし立ち位置が変わったりするように、漫才も状況に合わせてリズムを変えています。

その役割を担うのがツッコミであり、「ツッコミは漫才における司令塔」と言っています。

漫才ではボケが注目されがちですが、観客の反応とかネタ見せの順番とかまで、ツッコミ担当は考えて、テンポやリズムを変えているわけですね。

ボケが間を意識すると「おもしろくない」と感じることも

笑いの中で、間を意識することは大切です。

でも、ボケが間を意識しすぎると、笑いの量が減ってしまう可能性があるとされます。

ツッコミは場の空気や集まったお客さんの反応を見て発言するけれど、ボケは自由に話す(話している感じがする)からおもしろいのでしょう。

これは日常生活にも通ずるところで、「空気を読むか、読まないか」とも似ていますね。

たとえば、友達何人かで集まって話していると、話題についていけないことや、誰かがトークに取り残されていることってありませんか?

自分の知らない話題について、自分以外の人だけが盛り上がっている状況です。

それに気づいた友達が「いや実は、これはこういういうことで、、、」と説明を入れて、話のペースを落とすのが間を読んだ人(ツッコミ)。

逆に速いスピードのまま、喋りたいことを話し続けるのが、間を意識しない人(ボケ)です。

職場や学校などでは、「空気を読め」的な雰囲気が強いですが、笑いに関していえば、あえて空気を読まないことで、生まれる笑いもあるということですね。

面白い人は「間」がいい

観察すると、会話が上手い人は会話に緩急をつけて、リズムを変化させています。面白い人は「間」がいいです。

このタイミングだからウケる、みたいなものを肌感覚として持っています。それはセンスかもしれませんし、経験で養ってきたものかもしれません。

この「間抜けの構造」という本で、たけしさんが笑いで大事にしている「間」の感覚が分かります。

時間がない人や「笑いのことだけ知りたい」という人であれば、2章の  ” 漫才の間 ”  だけ読んでも十分に楽しめるでしょう。

まとめ

笑いをとることに限らず、間がいい人は何かとタイミングがいいなと感じます。

声をかけるとき、何かを渡すときなど、相手のしぐさや全体の空気を読んでいるから、ちょうどいいタイミングで相手がほしかったものを差し出すことができるのでしょうね。

面白い話し方に興味がある人は、部分読みでもいいので、一度読んでみるといいかもしれません。

間抜けの構造 (新潮新書)
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