「好き」の反対が「無関心」の理由とは?考察のポイントを解説

「好き」の反対が「無関心」の理由とは?考察のポイントを解説

「好き」の反対は「無関心」と言われて、しっくりきますか?

「じゃあ、嫌いの反対は何?」と思うこともありますよね。

「好き」の反対が「無関心」と言われても、何かわかったようなわからないようなモヤモヤした気持ちになる人もいると思います。

そんなわけで、今回は「好き」の反対が「無関心」と言われる理由について考えてみました。

好きの反対は無関心。その理由とは?

「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」と言われますが、なぜなのでしょうか?

私が思うにポイントは、「感情の揺れ」ではないかと思います。

たとえば、人であれモノであれ「好き」というときには、自分の感情が動いています。

その意味で「嫌い」も同じく、自身の感情が動いています。

興味があるとかないとか、そういうことは置いておいて、客観的に自分を見たときには、どちらも感情が動いていることには変わりありません。

一方で「無関心」は、感情が動いていない状態です。

何の興味もなく、自分の頭の中にも心の中にも、その物事はスッポリ抜け落ちています。

もしこれが「好き」もしくは「嫌い」の状態であれば、ふとしたときに思い出したり、考えたりするでしょう。

好きな人をはじめ、趣味や行ってみたい場所、食べ物など諸々です。

「嫌い」も同様で、「あの人がムカつく」「見たくない」「食べたくない」という感じで、何らかのかたちで思い出すことがあるでしょう。

その点、無関心はその言葉の通り「関心がない」ので、ほぼ思い出さないし、考えることがないはずです。

つまり、全く感情が動いていない。

「好き」「嫌い」= 感情が動いている
「無関心」= 感情が動いていない

そんな理由から「『好き』の反対は『無関心』」となっているのでしょう。

対義語として「嫌い」も正解だと思う

個人的には「『好き』の反対が『嫌い』」というのも正解だと思います。

この2つは前述したように、感情の揺れという点では共通していますが、相反する感情だと思うからです。

普通の感覚からすると「『好き』の反対は『嫌い』」と言われた方が、しっくりきますよね。

それと「『好き』の反対は『無関心』だよ」と言われると、ただ形式的な知識を押し付けられているみたいで、なぜかちょっとカチンときます…。

そんな理由から国語的な正解は抜きにして、納得感という点でいえば、「『好き』の反対は『嫌い』」も正しく感じます。

まとめ

正直、「好き」の反対が「無関心」でも「嫌い」でも、人生にたいした影響はないですよね。

ぶっちゃけ、どっちでもいい….。

それよりも他にやるべきことがあるような気がします。

でも、こういう「言葉」の考察や分析は嫌いじゃないです。