記念すべき第1回目となるM-1グランプリ2001は、緊張感がケタ違いの大会でした。
初めての開催ということもあり、10組の漫才師はもちろん、審査員や司会者まで全員がピリピリしていたのです。
今のM-1と比べると装飾も音響もシンプルで飾り気はないですが、そのぶん漫才に集中しやすい環境であり、まるでドキュメンタリーを見ているような感覚にさえなります。
そこで今回は、M-1グランプリ2001の見どころについてご紹介します!
異様な空気と緊張感!M-1グランプリ2001
M-1グランプリ2001は、今のM-1とは比べ物にならないほど緊張感に溢れています。
初開催であることからくる司会者の緊張、審査員が感じるプレッシャー、「絶対に勝ちたい」という漫才師の想い。
全員に緊張が走る大会は、他のお笑い番組とは一線を画す、異様な空気をまとって始まりました。
会場も飾り気が少なくシンプルなためか、緊張感が見ている側にも伝わってきます。
ときどき映る審査員もほぼ笑っておらず、真剣そのもの。
松本さんが目を丸くしてネタを見つめる表情にも、妙な怖さがあるくらいです。
審査員の雰囲気については、紳助さんも以下のようにコメントしていました。
審査員が真剣でいいですよ。よその番組みたいに嘘の笑いが入っていない、、、真剣でいい。
漫才前のくじ引きと挨拶のときに、芸人全員が黒のタキシードを着て、正装で登場するシーンも、重々しい空気に拍車をかけています。
漫才師も全員が真面目というか素の顔をしていたので、「芸人が一番やってはいけない顔をしております」と紳助さんもコメントしていました。
当然、現在のM-1にも緊張感はありますが、この独特な張り詰めた空気とプレッシャーは、第一回大会ならではという感じです。
笑いのない、楽屋レポート
M-1グランプリ2001では、くじ引きの後、アシスタントの菊川 怜さんが楽屋レポートに行きましたが、とてもレポートできるような空気ではありませんでした。
楽屋では視聴者のために、DonDokoDonの平畠さんがおどけてみせましたが、正直「それどころではない」といった雰囲気が楽屋には漂っていたわけです。
予想以上の重たい空気には、菊川怜さんも「紳助さん、どうしたらいいですかー!?」と困った様子でレポートは一瞬にして終わりました。
こんなに緊張感があって笑いのないレポートは、近年のM-1ではほぼ見られませんね。
今はブレイクした漫才師たちの若手時代
M-1グランプリ2001は、20代の漫才師が多い大会でした。
フットボールアワーやチュートリアル、中川家、麒麟、キングコングが若手とされる時代であり、キングコングにいたっては、まだ二人とも21歳だったことに驚きます。
麒麟も今でこそ人気のある芸人ですが、当時はまだ無名で「ダークホース」と言われていました。
他に、2014年に解散してしまったハリガネロックも出場しており、お笑い好きには見応えのある決勝戦となっています。
今は売れっ子になった漫才師の、初々しい頃の雰囲気が見られるのも、第一回大会の魅力ですね。
M-1グランプリ2001は、観客の反応が素晴らしい!
第一回目となるM-1グランプリは、観客の反応が適切で素晴らしいです。
近年のM-1もそうですが、最近のお笑い番組を見ていると、ときどき「観客のリアクションがおかしい」と感じることがあります。
ネタに対する「えぇー??」といった声が、まさにそうです。
その点、第一回大会は、お笑いを見慣れている観客が多いためか、ネタ中に余計なリアクションが入っていません。
あるのは笑い声だけで、「えぇー?!」や「おぉー!」といった反応があるのは、予想よりも点数が入らなかった場合などだけです。
とても自然なリアクションなので、心地よさすら感じます。
観客の反応が適切だと、集中して漫才が見られるので、お笑いファンとしては嬉しい限りです。
漫才後のインタビューから点数発表までが、淡々と進む
M-1グランプリ2001の進行は、とても淡々としています。
現在のM-1では、漫才終了後に芸人が舞台袖にはけていきますが、第一回のM-1グランプリはそのまま芸人が舞台に残るスタイルです。
漫才後はその場でインタビューを受けて、得点発表がなされます。
この漫才終了後からインタビューまでの間が何とも言えず、少しそわそわするような、まるでドキュメンタリーを見ているかの感覚になります。
得点発表は、全審査員の点数を「せーの」で発表するため、かなりスピーディーな展開です。
審査員のコメントもほぼないので、相当早いペースで番組が進んでいきます。
またM-1グランプリ2001は、総得点のバラツキが大きいことも特徴で、合計得点は800点台から500点台まで出ています。
初開催のため審査員も勝手が分からず、各審査員の基準点がバラバラになっているのです。
そのため大半の審査員が80点台をつける中で、50点台をつける審査員がいることも普通となっています。
地方審査員の点数がえげつない
M-1グランプリ2001には、7名の審査員の他に、一般審査員がいました。
一般審査員は、札幌・大阪・福岡の3拠点に各100人にいて、持ち点は審査員一人につき1点。もし地方得点が満点なら計300点が、特別審査員の計700点に加えられ、合計1000点となる大会の仕組みでした。
ただ、この一般審査員の点数はかなりバラツキがあり、えげつなかったですね。
たとえば、”おぎやはぎ” はネタも結構おもしろかったのに、一般審査員の得点は大阪9点、福岡12点とかでした。
「100点満点なのにこれか!?」、と思うような点数がたくさん出ていましたね。
この地方得点のシステムについては、審査員ラサール石井さんも触れていました。
一般審査員は持ち点が一人1点しかないため、言うなれば、押すか押さないかの2択です。
特別審査員のように「74点」「78点」などと、細かく点数をつけられるわけではないので、バラツキが大きくなってしまったわけです。
打ち上げは、中川家と紳助さんの3人だけ
中川家・剛さんが語っていましたが、優勝して、取材やらなんやらを受けて楽屋に戻ったときには、もう誰もいなかったそうです。
打ち上げも中川家と紳助さんの3人だけだったらしく、「寂しかったなー」と剛さんがラジオで言っていました。
今のM-1のように、優勝後の打ち上げ配信があるのも大変ですが、他の芸人さんが先に帰ってしまうなど、優勝のお祝いしてもらえないのも辛いものがありますね。
幻となった『お金が敷き詰められたステージ』
当初、紳助さんは賞金1,000万円を敷き詰めたステージを作ろうとしていました。
演芸の世界には、舞台に金が落ちているということわざがあり、それにあやかって舞台上に1万円をズラーっと並べようとしたわけです。
しかし「それはマナー的に良くない」という理由で、却下されたと言っていました。
結局、賞金はパネルに入れて廊下に飾られたわけですが、本当にお金が敷き詰められたステージになっていたら、とんでもない見栄えになっていたんじゃないかと思います。
おそらくそんな奇抜なステージは、今後もテレビで見ることはできないでしょうね。
まとめ
エントリー数1,603組のM-1グランプリ2001は、今と比べると参加者が少なく、「優勝しやすかった大会」と思うかもしれません。
ですが、他の大会にはないただならぬ緊張感があり、漫才に対する真剣さがストレートに伝わってくる大会です。
観客のリアクションもいいので、ストレスなく漫才が楽しめます。
2010年あたりからのM-1を見慣れている方にとっては地味に映るかもしれませんが、この独特の緊張感は第一回大会でしか味わえないものと言えますね。