三日坊主でも、やらないよりはずっとマシ

ギター 人生哲学
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何かを始めるときはたいていモチベーションが高いので、やる気に満ちていますよね?

でも「今日から頑張ろう!」と思ったのに、途中でやめてしまうことは結構あります。

私も行政書士試験や英語の勉強など、いくつ短い期間でやめてしまったものがあるか分かりません。

世間ではそういうのを“三日坊主”というわけですが、それは悪いことなのでしょうか?

私はそうは思いません。

今回はそんな三日坊主についてのお話です。

三日坊主でも、やらないよりはずっと良い

三日坊主というと、どこかイメージを持たれがちですが、私としてはやらないよりはマシじゃないかなと思います。

考えるだけで行動しないことはよくありますし、それに比べれば、たとえ3日でも続いたのなら良いだろうと思うからです。

何かアクションを起こすとき「これは長く続けられるか、続くかないか」と考えることがありますが、そんなことを考えても意味がありません。

ある物事を継続してやっていけるかどうかなんて、結局のところやってみないとわからないからです。

「ブログを書く」「本を読む」「早起きする」など何でもです。

だから、頭で考えるだけで何もしないよりは、三日坊主でもチャレンジしただけ良い方なのではないかと思います。

むしろ一度やってみたからこそ、向き不向きも分かりますし、好きか嫌いかの区別もはっきりしてきます。

チャレンジしたことを継続してできるのであれば、それは自分にとって必要なものなのでしょうし、逆に継続できないのであれば、その物事が好きではないか、今の自分にとって必要ないものなのでしょう。

意志の力よりも感情の力の方が強い

私は公務員の頃に2度、行政書士試験を受けました。

当時は「せっかく公務員予備校で法律を勉強したし、将来役立つ資格を取りたい」と思っていたので、休みの日に時間をつくって勉強していました。

結局、試験に受かることはできなかったのですが、振り返ってみるとこのときは完全に「やりたいこと」「好きなこと」というよりは、意志の力で勉強していたと思います。

試験勉強に対して「やってみたい」という気持ちはあったのですが、行政書士の勉強を本当にやりたいかと言われると、それは違うようなという感じです。

「好き」「やりたい」といった気持ちよりも、世間的な評価であったり、将来性であったりと頭で考えて始めた取り組みだった気がします。

そのため途中からは、ワクワクする感情が失われていき、義務感や意志の力で勉強していたところがありますね。

だから、結果も出なかったし、やり切ることができなかったのかなと思います。

頭で考えて行動を実行する“意志の力”には限界があると思うので、モチベーション高く、物事を継続するには、いかに“感情の力”を使うかにかかっていますね。

まとめ

始める前からいろいろと考えて、何もやらずに終わるくらいなら、三日坊主の方がずっとマシです。

たとえ3日でも実行したのとしていないのとでは、雲泥の差があります。

モチベーションが下がるとか、継続しないというのであれば、それは「やりたい」「好き」といった自発的な感情ではなく、世間体や他人の価値観によるものだったのかもしれません。

やってみたダメだったのなら、一度自分の気持ちや目標を振り返ってみてはどうでしょうか?